噴水が上がる池。全部で8面もあります。
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当社のお客さんが数多く移住している浪江町津島地区には、国道114号線(福島市と浪江町を結ぶことから通称で福浪線ともいう)が通っています。この沿線は飲食店があまり多くないのですが、福島へ向かって左手に「つしま乃茶屋」という和食の店が見えてきます。そのすぐ近くにあるのが「平和公園」。個人で営んでいる施設で、入場はまさに豪邸の屋敷に足を踏み入れる感じです。5町5反3畝ある敷地には、噴水が勢い良く吹き上がる池、「十咲けば 十の幸福 いぬふぐ里」などと俳句が刻まれたさまざまな石碑、古文書を展示した資料室などが整備されています。なかでも圧巻は「愛」の一文字が記された石碑。何と11×12尺、4畳間くらいの巨石に刻まれているのです。それにしてもこの山の中で、なぜ平和を祈る施設があるのでしょうか。
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公園の主は紺野広仲(こんのひろなか)さん。大正10年生まれの84歳ですが、背筋も伸びて元気そのものです。いまから約60年前、広仲さんは太平洋戦争時代に特攻隊を教育する築波海軍航空隊で本隊副官部に勤務していました。ある日、紺野さんを訪ねてきた青年士官から、こう懇願されます。「遺書を代筆してほしい、と言うのです。話を聞くと、明夜半に特攻機に搭乗すると。それが発端となり、数多くの下士官、士官の代筆を頼まれました。そのときの別れの握手が脳裏に焼き付いて忘れられません。いまは平和な世の中になりましたが、彼らの死を無駄にしてはいけない、このことを子孫に伝えることが私の使命だと思い、昭和63年に私財で設立したのがこの公園なんです」と語ります。 |
「津島でも102人が御霊と化したんです」と広仲さん。 |
福島県ではこの戦争に約24万人が出動して、6万3000人が帰らぬ人になりました。紺野家は清和源氏につながる家系で、400年前に邸宅を建築したときは相馬と三春を結ぶ街道の休憩所にもなっていたのだとか。また、戦前から軍馬・競走馬の飼育で成功し、あのテンポイントに嫁ぐ馬も産出したほど。広仲さんも採石など数社の会社を営んでいましたが、事業家を引退するに及んで過去に立ち戻り、公園の設立を決意したのです。 |
「愛」の一文字が刻まれた石碑。伝わるものがあります。 |
それ以来、数多くの樹木を移植したり、趣味の俳句教室を開いたりしながら公園を手入れしてきました。おそらく億単位の私財は投じたと思われる施設ですが、「ご浄財」と書かれた箱が置いてあるだけで、「入場料は本人の気持ちに任せている」のだとか。もとより平和を祈り、人間の「愛」を追求するために創った空間ですから、お金のことなど二の次なのです。公園の奥には18面のパークゴルフ場も整備している最中ですが、「老人たちに無料で楽しんでもらいたい。これが最後の社会奉仕だと思っています」と明るく話します。唯我独尊が横行する現代で、他者のために祈り続けている広仲さん。津島にはこういう人物もいるのです。ぜひ訪ねてみてください。 |
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