雑木林
都路村は昔、炭焼きの盛んな地域でした。戦後は一部でスギの植林も行われましたが、シイタケ原木やパルプ材を生産するために現在でもナラ、クヌギなどの雑木林が広範囲に残されています。雑木はスギ、マツのような常緑樹と違って四季の移ろいが感じられるため、自然志向の移住者には人気があります。
都路村の83.8%は山林原野で占められています。その55.9%が国有林という典型的な山村です。特に有名な山があるわけではありませんが、常葉町との境にある鎌倉山(967m)や葛尾村との境にある五十人山(883m)は気軽に楽しめる登山コースとして親しまれています。
阿武隈山系は全体的に急峻な山岳地帯ではなく、低い山が連なる丘陵地に近い地形を有しています。そのため風景にメリハリはありませんが、山歩きの好きな人には魅力的な地域となっています。
豊かな水源
花崗岩台地に覆われている都路村は地下水の豊富なところで、現在でも大多数の家庭で井戸か沢水による個人水道が使われています。簡易水道事業も行われていますが、地形的に水源を確保しにくい一部地域のみです。
地元の人間は意識していませんが、都会の人から「都路の水は美味しい」とよく言われます。確かに塩素消毒した都会の水とは明らかに味が違います。この水が気に入って都路にセカンドハウスを建てた日本酒の専門家もいます。
飲料目的の沢水利用は取水条件に恵まれた一部の土地に限られますが、ボーリングでは容易に地下水を得やすい地域です。標準的な井戸の深さは30〜40mくらいが目安となります。
また、沢水を敷地に引き込んだ池で魚を飼ったり、ワサビやクレソンなどを栽培して田舎暮らしを楽しんでいる移住者もいます。
都路村に限らず、阿武隈山系は水資源の豊富な地域です。過去に河川の氾濫による水害が発生したことはありますが、水不足で争いが起きたという話は聞いたことがありません。
都路村では新規就農者も受け入れていますが、
勝手に水を引いたり、よほど大量に水を使わない限り、水利権の心配などは無用です。
美味しい食材
都路村には残念ながら、全国に誇れるような特産品はありません。しかし、水がいい地域なので、どんな料理でも美味しく食べられます。
村内は雑木林に覆われているため、山菜やキノコが豊富です。山菜はウド、ワラビ、フキ、シドケ、タラノメなど、キノコはシメジ(ホンシメジ、ムラサキシメジ)、シシタケ、アミタケ、クリタケ、ナラタケ、マツタケなどが採れます。
林業の盛んな都路村では、キノコを人工栽培する道具も森林組合で手に入ります。シイタケ栽培には1本200円前後の原木の他に種駒と専用ドリルが必要ですが、予算は1万円もあれば充分。家庭で食べきれないほどのシイタケが収穫できます。また、桜の木を使ったナメコ栽培も移住者には人気があります。
都路村では昭和40年代から肉用牛の生産が行われてきました。現在は輸入牛に押されて衰退の一途をたどっていますが、肉の美味しさは輸入牛とは全然違います。村内には畜産を振興するために設けられた
都路村特産品処理加工施設があり、焼き肉用の肉やウインナー、ハンバーグなどを作っています。
都路村の春の味覚。シイタケ、
ヨモギ、セリ、ふきのとう
|
|
美味しい牛肉やハムなどが手に入る
都路村特産品処理加工施設
|
都会の人を受け入れる「こころ」
「都路村はどうしてこんなによそ者に優しいのか」とよく聞かれます。他の地域のことはわかりませんが、都路村では移住者をよそ者扱いする排他性が薄いことは確かでしょう。それにはいくつかの理由が考えられます。
1つは水資源が豊富で、水利権をめぐる利害対立が発生しにくいこと。西日本の人に話を聞くと、これが理由で都会人を受け入れない地域もあるようです。
もう1つは深刻な過疎化で耕作放棄地や荒れ放題の山林が増えていること。土地にしがみつくよりも、利用してくれる都会の人がいるのなら所有地を手放してもいいと考える地主が増えてきたのです。都路では高齢化も進行しており、年々その傾向が強くなってきました。
しかし、最大の理由は江戸時代から他の地域の人を受け入れてきた歴史があるからでしょう。昔は炭焼きを目的に、雪の多い会津や群馬から多数の人たちが出稼ぎに来ていました。それがきっかけで地元の人と結婚した人も少なくありません。また、戦後は水力発電の仕事で出稼ぎに来た人もいます。都路には15代続く昔の豪族の末裔もいますが、農家の多くは江戸時代の飢饉のあとに空家に移り住んだ人たちだといわれています。開拓の歴史が浅いために「よそ者意識」が薄く、戦前から多くの人が出入りしていたようです。それが後年、田舎暮らしに結びつくことになるのですから、歴史とはおもしろいものです。
|
地元の人との交流も楽しめる
春のイベント「たらの芽会」
|
「たらの芽会」で天ぷらをあげているのは地元の大工さん |
|