話は16年前に遡ります。もともとは地元で林業をしていた吉田宗功(故人)と吉田吉一(都路林産開発代表・村議)の酒飲み話から始まりました。
「宗功さん、村の木はあらかた伐っちまったし、木の値段も下がる一方だばい。出稼ぎ林業にも疲れたし、何かいい方法ねえべか」
「吉一、毎日新聞に田舎暮らしがどうとかっていう記事が出てたぞう。ただ木を売るより、そこに都会の人に家を建ててもらったらいいばい。村に活気も出るし。新聞社に電話してみっか」
これがきっかけとなり、最初は役場を窓口にして空家対策を行いました。まずは村おこしを手伝ってもらう仲間を集めるために、新規就農者を募ったのです。しかし、この取り組みは見事に失敗しました。というのも、農林業の不振を救ってほしいと考えた地元側と受け入れにあたってさまざなま支援を望んだ移住者側に気持ちのズレがあったのです。また、貸家を斡旋する難しさも露呈しました。結局、当時の入村者のほとんどが村を去っていきました。
次に手がけたのが山林分譲です。その頃はまだバブルの真っ最中でしたが、これが大人気となりました。坪8000円の14区画の分譲地に200名もの見学者が訪れたのです。ただし、当時は投機目的で土地を求めた人が多く、家を建てたのは土地購入者の半分くらいでした。村おこし活動が本当の意味で軌道に乗ったのは、バブルが崩壊してからです。土地購入者の大多数は定年前後の人ですが、田舎暮らしを本当に真剣に考えている人たちが村に集まってくるようになったのです。受け入れ側も不動産の斡旋や建築だけでなく、地域住民との良好な関係作りや新住民に対する情報提供、セカンドハウスの管理など細かなフォローが必要になってきました。
村おこし活動を始めて16年。村内では累計100棟近い住宅とセカンドハウスを建築してきました。その結果、それまで出稼ぎを余儀なくされていた建築関係者(大工、左官屋、板金屋、建具屋など)が村内で働けるようになったのです。また、移住者や別荘利用の人たちの固定資産税が合計600万円を超えました。税収が2億数千万円の都路村にとっては大きなお金です。さらに移住者による消費の効果が年間5000万円くらいあります。それにもまして、都会の人はこの小さな過疎村にさまざまな刺激を与えてくれました。移住者受け入れによる村おこし活動は、この村の歴史を変えるほど大きな力となっているのです。
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