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当社のテリトリーは福島県東部の田村郡を中心に、双葉・相場・安達の各郡にまたがっています。このコーナーでは有名・無名を問わず、一見の価値がある見どころ
・食べどころを紹介します。
【第9回】古代の村の竪穴住居(都路村)
復元された竪穴住居。縄文人のマイホームです
江戸時代、阿武隈山系に多くの移民が住み着いた理由を本コーナー第6回で書きました。それから約220年後の現代、この地域は過疎化と高齢化が進み、何とか活力を取り戻そうという思いが村おこし活動に結びついています。江戸時代は天災による大凶作、いまは農林業の構造的な不振が地域の転換点となっているわけですが、長い歴史で共通しているのは農家にとって決して恵まれた条件を有している地域ではなかったということです。先人たちがどれほど苦労してこの地を耕し、文化を創造してきたか、それを引き継ぐ私たちは感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。 |
本当の古代住居には内部に暖房兼炊事用の炉があったとか |
農耕には不利だった阿武隈山系ですが、縄文時代は多くの人たちが出入りしていました。都路村内では数多くの縄文時代の遺跡が発見され、そこにはたくさんの土器ややじり、黒曜石やアスファルトまで発見されています。黒曜石は栃木県・那須岳や山形県・月山、アスファルトは秋田や新潟の産油地から運ばれたものと推定されており、縄文人の行動範囲の広さが想像できます。
オートキャンプ場や焼き肉施設などがある多目的施設「グリーンパーク都路」に近い石橋地区の道路沿いには、なぜか竪穴住居が2棟建っています。もちろん、原始人が住んでいるわけではありません。 |
実はこの地区で縄文前期(約5500年前)の3棟の竪穴住居や土杭などが発見され、その記録を後世に伝えるため20年ほど前に復元されたもの。構造は壁柱のみで建てられ、東西に2.8m、南北に2.5mの円錐形をなしています。その時代は山で獣を追いかけたり、木の実や山芋などを採取したり、川で鮭を捕獲して、住居に戻ってから炉を囲んだのでしょう。山の幸が多いこの地は、狩猟民族にとってまさに楽園だったに違いありません。都路村では弥生時代の遺跡は少なく、平安時代まで歴史の空白があります。その当時、東北で冷涼化が進んで狩猟採集経済に何らかの変化をもたらしたものと推察されますが、真相は藪の中です。 |
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村内ではこんな立派な土器も出ています(都路村公民館展示) |
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