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【第2回】富岡信夫さん・圭子さんご夫妻さんの「室」
---車なしの自給生活を支える、もう1つの小部屋---
富岡家の裏山にある小部屋の入口。左の雨戸にも理由が
田舎の土地をまんべんなく使うのは難しい。まして傾斜地の山林はシイタケ栽培や遊歩道くらいしか用途がないので、無用な裏山になりがちだ。約12年前に都路村の村民となった富岡家の敷地も全体で約700坪あるが、宅地・畑として利用している平坦地は雑木林を切り取った約300坪だけ。残りは裏山の急な土手に過ぎない。ところが、その土手に何と扉がある。ノブを回すと、コンクリートで囲まれた2坪ほどの部屋が出現。私が子どもなら間違いなく秘密基地にするところだが、古希に近いご夫妻がそんな趣味を持つはずもなし。そう、ここは富岡家の室(むろ)なのである。 |
室では味噌も保存。梅干しとは分けています |
「室の中は温度が一定なんです。だから冬でも凍みないし、子や孫に食べさせるおせちはここで保存しました。逆に夏はものが腐りにくいし、ひんやりして気持ちいいんですよ。ただ、味噌と梅は喧嘩する(注:お互いに味がまずくなる)というから、梅干しは物置においてあるんです」と妻の圭子さん。
私も室はいろいろ見てきたが、土間や庭先の地面に掘るものが大半で、横穴式住居のようなスタイルは初めて。古い農家の味噌蔵に似ている気もするが、とにかく珍しい。ここには味噌、栽培用の豆、長芋、肥料に使うEMボカシ、果実酒など、気温の変化に弱いものが保管されている。 |
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富岡家にはほかにも屋外に物置、屋内の台所脇に食品庫があり、おもに前者は梅干しや醤油などの調味料、後者は野菜や漬け物などの保管に利用。食材の保存は田舎暮らしの重要テーマとはいえ、かなりのこだわりである。富岡家で最初に田舎暮らしを望んだのは圭子さんで、無農薬有機栽培が目的だった。家を建てる際、裏山に室を造るアイデアも彼女が出したのだとか。 |
「本当は地下室がほしかったんです。海外のテレビを観ると、ワインとかジュースとかジャムとか地下室に保存してあるでしょ。ちょっと憧れもあったのね。でも、予算的に無理だと。昔、造り酒屋をやっていた実家に、2畳くらいの室があったんです。隠居屋の前だったけど、地面に穴を掘り、蝶番の付いたガラスの蓋を被せてある。そこを開け、籾殻の中にある野菜を取り出すわけ。それが頭にあったから室にしたんですが、畑のスペースは減らしたくないし、裏の土手なら使ってもいいなと思って都路林産開発にお願いしたんです。うちは車がないので、余計に保存スペースは必要ですからね」
富岡家の室は、実はこれが2代目。1年半前に約30万円かけてコンクリート製に造り替えたのだ。その前は裏山に穴を掘り、栗材の板で囲う簡単な造りだった。 |
この豆を選別して味噌の材料にします
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台所脇の食品庫。外にも出られる造りです
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「室は圭子の担当だから口出ししなかったけど、穴掘りの作業は見ていたよ。途中から花崗岩になって、つるはしでキンコンカンコン削っていた。2、3日くらいで掘ったから、いま考えるとよくやったものだよね」と夫の信夫さんは証言する。
ただ、初代の室は大きな欠陥があった。まわりが砂層で囲まれていたため、少しずつ崩れてきたのだ。とくに雨のあとは板の隙間からザラザラと砂が落ちてきたという。悲劇はそれだけでなかった。
「ネズミがものすごいんです。ジャガイモをおけばかじられる、ペットボトルの醤油をおけば飲まれる、アルミパックの豆乳なんかもチューチューやられるんですね。同じ豆乳でも美味しいココア入りだけかじるんですよ(笑)。入口に乾いたワラビや杉葉をおけばいいと地元の人にいわれて試したんだけど、まったく効果なし。仕方なく室の中に穴を掘って金の箱を埋めたんだけど、まわりの桶とかはかじっちゃう。そのうちネズミを追ってヘビが住み着いたの。室の中でとぐろ巻いている状態で、ヘビ嫌いだからさすがにギブアップ。コンクリートに替えてからは、ネズミも入らなくなりました」 |
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現在の室は扉を開け、雨戸を立てかけてある。実は2代目もコンクリートの結露か床をGLより低くしたためなのか、水が染み出て湿気が溜まる欠点が判明。それを除去する必要が出てきたのだ。いずれ業者に相談して入口に換気口と換気扇を設置しようかと考えているところだが、なかなか完璧とはいかないものである。
信夫さんは担当外の室や畑には手を出さないが、プロ級の腕前を持つ将棋の世界では日々、自己研鑽および後輩の指導に時間を割いている。私たち移住者にとっては大先輩かつ良き相談相手であり、この日も取材にかこつけて美味い酒をご馳走になった。また、土日は都路村の直売所「気まま工房」の中心メンバーの1人として活動している。 |
「醤油も飲んじゃうの」と圭子さん。ネズミとの戦いです |
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掘り始めはミニユンボが活躍。ほどなく花崗岩が
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「工房は不況知らず、右肩上がりでね。3年半前に始めたときから食の安全をめざしてきたんだけど、野菜は無農薬、味噌・豆腐・納豆・蕎麦なども添加物を一切使わないスタイルで通してきた。それがよかったんだろうね。土日だけの開店、しかも1個100円、200円のものを扱って通算2000万円の売り上げだよ。行政や補助金にも頼っていない。今日も娘と二人暮らしという知らない人から『手作りでいろんなことをやってみたい』と相談の電話がきたし、ファンが増えてきたと感じるねえ」 |
東京時代は黒塗りの社用車に乗るほどのエリートだった信夫さんが、いまは電動自転車で直売所に通い、喜々として店番をやっている。その陰で妻はネズミと格闘しながら、無農薬有機栽培に情熱を注ぐ。車なんかなくても、これだけ充実した生活が送れるのだ。田舎暮らしは引き算ではなく足し算だ、とご夫妻の生き方は教えてくれる。 |
都路林産開発・吉田社長(左)との楽しい宴会
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