| |
【第1回】滝原春樹さん・房子さんご夫妻の「蒸し釜」
---ご飯から焼き芋、ピザまで美味しくできる魔法の調理器---
蒸し釜の取っ手をあげたところ。これはピザの調理風景です
幼児の背丈ほどもある緑色の物体を前にして、私は思わず腕組みした。下に四角い穴があるから液体を詰めるカメではない、爪ではじくと陶器のような音がするから縄文人の道具でもない。まさか不発弾では・・・・「ああ、それは蒸し釜です。焼き芋が上手く焼けるんですよ」と持ち主の滝原春樹さん。焼き芋? ますます怪訝そうな私を見て、「本当はお米を炊く道具なんです。これを使うと安い米でも美味しくなるんですよ」と続ける。
両手で取っ手を持ち上げ、内部を見せてもらった。ちょうど炊飯釜が載りそうな丸い台があり、その下は炭置き場と空気穴。そうか、要は七輪を密閉させたような調理器と考えればいいのか。さっそくネットで調べたが、同じものが見つからない。そこで隣の婆ちゃんに写真を見せたら、「これは蒸し釜だあ。色は鉄っぽかったな。30年以上前だけど、竈がない家はこれでご飯を炊いたの。3軒に1軒くらいはあったよ」と懐かしげに話す。
竈(かまど・へっついともいう)は薪を利用する調理道具だが、少なくとも10畳くらいの土間がないと設置できない。山村では大正から昭和40年代にかけて木炭の生産が盛んに行われており、竈のない家で炭を有効活用するために生まれたのがこの蒸し釜、ということみたいだ。無論、電気釜の現代に使っている家庭はないだろうが、春樹さんは浜通りの古道具屋でこれを見つけた。 |
「私も最初は何かわからなかったけど、これなら焼き芋やるのにいいやと思ったわけ。値札は1万円でしたが、あちこち傷んでいたので3000円にまけてくれました。セメントや針金で直して、見た目が悪いから緑色のペンキを塗ったんです」 |
炊飯の実演をしてもらった。まず薪ストーブから真っ赤な炭を取り出し、釜の下に移す。その量は茶碗2杯分くらい。意外に少ないのだ。台の上に炊飯釜を載せ、蒸し釜の蓋を被せる。上にも片手でつかめる丸い蓋があるのだが、そこに火のついていない炭をはさむ。完全密閉では火がおきないので、少し隙間を空けるためだ。9分後、その隙間から白い湯気が上がってきた。見定めが難しいのだが、さらに6分経つと湯気が煙に変わったように見える。そこで、蓋の炭を外し、下の四角い穴に革製の手袋を詰める。このまま10分蒸らす。まさに「始めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣くとも蓋とるな」である。 |
わずかな炭であっという間に調理できます
|
炭をはさんで湯気と煙の通り道を調整します
|
炊飯釜の蓋を開けると、ご飯の表面に10個くらい穴が開いており、鼻先にお焦げの香りがしてきた。そうだ、子どもの頃に母が厚釜で炊いていたご飯、それがまさに目の前にあるのだ! 感動しながら口に含むと、米の表面ではなく芯の方が温かい。さながら元祖・圧力釜だが、厚釜と輻射熱を利用すると米が上手く炊ける理由がわかったような気がした。
続いて、妻の房子さんがパエリアをご馳走してくれるという。今度は中火にする必要があるのだが、やり方は直火ではなく台の上に網を載せ、その上に土鍋、さらに前記の炭を小さくして隙間を小さくするだけ。自ら発見した使用法が何とも微笑ましい。ただし、10分後に土鍋の蓋を開けると、まだ貝が口を開いていなかった。 |
「こりゃダメだわ(笑)。あと5分追加しましょう。時間や出来加減は食材や水の量によって1回1回違うんだけど、それも楽しいんですよね」と房子さん。 |
パエリアも美味しくいただいたが、この山の中でなぜサフランがあるのか。滝原家では東急ハンズの「通販倶楽部」をよく利用しており、そこから取り寄せているのだとか。蒸し釜ではほかにピザ、焼き芋(4面を1時間くらいかけて焼くと甘くなる)なども作っている。
ご夫妻が都路村に家を建てたのは1991年。春樹さんは新聞関係に勤めていたが、50歳で中途退社する。釣り、鉄砲、ラリー、キャンピングカーなどあらゆる遊びをやってきたので、都会生活ではもの足りなくなったのだ。実は、当時から私はお二人にご厄介になっている。11年前に結婚するとき家庭の事情で仲人が必要になり、「すみませんがフリーライターには上司がいないので、取材だけでなく仲人もいいですか」というとんでもないお願いを快く受けてくれた大恩人なのである。 |
お焦げのついたご飯ができあがり! 米に穴も開いています。
|
私は田舎暮らしの取材でたぶん1000人近くの移住者に会ってきたが、その中で滝原家は自給レベルの高さでは間違いなくベスト5に入る。味噌はもちろん、ビール(アルコール1%以下なら合法です・笑)、肉や魚の燻製、ウインナー、蕎麦など、あらゆるものをご馳走になった。 |
この日はベーコンと鮭の燻製もご馳走していただきました
|
「スローフードの基本は毒のないものを食べることだから、食材にはこだわっています。でも、それは徐々にやってきたこと。家を建てた頃は移住者の大半が無農薬有機栽培に夢中になって、私が『無農薬の肥料は売ってますか』『有機栽培の消毒はどうするんですか』なんてバカなことを聞くから、相手にされなかった。でも、無農薬有機栽培にうなされていた人たちも堆肥1つ作っていなかったんです。そのうちいろんな移住者が現れて、肩の力が抜けたんですね。今は自給自足を楽しんでやっています」と春樹さん。
詳しくはHP(http://www4.ocn.ne.jp/~hf3470/)で紹介しているが、カナリアや鷹を飼ったり、古い家具の再生も手がける滝原家。その影響を受けて私も4年前に衣服を入れる長持を入手したのだが、手入れもせず狭い家の縁側に放置してある。今回の取材は妻も同行したのだが、米の美味さに感動して「俺も買おうかな」と口走った途端、思いっきり嫌な顔をされた。仲人の道具で夫婦喧嘩もしていられないので、すぐに諦めたのはいうまでもない。 |
ウインナーの手作りも夫婦で楽しんでいます
|